最強のノート術は「板書丸写し」(谷川祐基)

「勉強できる人のノート術」「東大生はノートがきれい」――といった内容の本が流行ったことがありました。

 要点がきれいにまとまっているノートは復習しやすく、テスト勉強で役立ちます。なので、きれいにまとめるノート術が成績アップの鍵になる……。ことは、残念ながらありません。

 断言(だんげん)しますが、ノートがきれいな(とう)(だい)(せい)(しょう)(すう)(は)です。(とう)(だい)(し)(けん)でも、(し)(けん)(まえ)になると成績(せいせき)優秀(ゆうしゅう)(がく)(せい)のノートが(で)(まわ)るのですが、解読(かいどく)困難(こんなん)なノートがなんと(おお)かったことか。

 かく()(わたし)も、()(きたな)さには()(しん)があります。

 そして、(せい)()(おし)えるうえでも(かん)じたことは、きれいなノートを(つく)(せい)()(かぎ)って(せい)(せき)()(なや)むという事実(じじつ)です。

 (きょう)()から()てもきれいにまとまっていて、(こま)かなメモもしっかり()ってあるのに、いざテストになると(てん)()れないのです。おそらくは、ノートを(つく)ることに(しゅう)(ちゅう)して、(せい)(せき)につながる(べん)(きょう)ができなくなってしまうのでしょう。

 では、(べん)(きょう)においてノートはどうでもいいもの、()(ひつ)(よう)なものなのでしょうか?

 それも(ちが)います。

 (がっ)(こう)(てい)()テストであれば、テスト(べん)(きょう)としてノートの()(なお)しをするだけで、ある程度(ていど)(てん)()れてしまう(きょう)(りょく)なツールになります。

 やはり、(ただ)しいノート(じゅつ)存在(そんざい)するのです。

 ベストなノートの()(かた)(ひと)それぞれに(ちが)うことがあり()ますが、その(なか)でも(だれ)にでも使(つか)える(さい)(きょう)のノート(じゅつ)(しょう)(かい)しましょう。

 ただし、このノート(じゅつ)は、()(じょう)()(かい)(おお)くて(いっ)(ぱん)にはレベルが(ひく)()(じゅつ)とみなされがちです。その(さい)(きょう)のノート(じゅつ)とはなんと、

(ばん)(しょ)(まる)(うつ)し」

 です。()(つう)は、「ただ(ばん)(しょ)(うつ)すだけでは、(たん)(じゅん)()(ぎょう)(あたま)(のこ)らない」「()(ぶん)なりの(かんが)えをまとめることがいい(べん)(きょう)だ」と()(てい)(てき)()われます。そもそも、IT()がこれだけ(すす)んだ(しゃ)(かい)で、(せん)(せい)(こく)(ばん)とチョーク(じゅ)(ぎょう)をすること()(たい)(ふる)(くさ)(かん)じます。

 しかしこれは、「(ばん)(しょ)」の(こう)()(かる)()すぎた()(けん)です。

 (じつ)は、一人(ひとり)(せん)(せい)がクラスの30(にん)とか40(にん)をいっせいに(おし)えることを前提(ぜんてい)にすると、

(せん)(せい)(こく)(ばん)にチョークで(ばん)(しょ)する」というスタイルを(こ)える(こう)(か)(てき)(じゅ)(ぎょう)(ほう)(ほう)はいまだ(かい)(はつ)されていないのです。

 (ねっ)(しん)先生(せんせい)はアクティブ・ラーニングやグループ・ワークなど、(あたら)しい(じゅ)(ぎょう)スタイルに()()んでいます。

 (がっ)(こう)は、IT(ぎ)(じゅつ)など(しゃ)(かい)先端(せんたん)(と)(い)れるのがいちばん(おそ)業界(ぎょうかい)ですが、パソコンやタブレットを使(つか)える先生(せんせい)がいないわけではありません。教材(きょうざい)(がい)(しゃ)も、IT(か)(ぎ)(じゅつ)使(つか)った(あたら)しい(きょう)(ざい)(かい)(はつ)(ねっ)(しん)です。それでも、いちばん(こう)(か)があるのが、「黒板(こくばん)板書(ばんしょ)」なのです(ひと)つの証拠(しょうこ)が、(よ)(び)(こう)授業(じゅぎょう)です。

 (さい)(きん)予備校(よびこう)では、スマホやタブレットで授業(じゅぎょう)()けられるコースがあります。そのコースでは年俸(ねんぽう)数千万円(すうせんまんえん)のカリスマ(こう)()授業(じゅぎょう)をしています。(はい)(しん)システムやアプリの(かい)(はつ)には、数億(すうおく)(えん)とか数十億円(すうじゅうおくえん)がかかっているかもしれません。コースを()ける(かた)も、年間(ねんかん)何十万円(なんじゅうまんえん)(はら)ったりしています。

 しかし、そのスマホやタブレットでどのような授業(じゅぎょう)をしているかというと、やっぱり「黒板(こくばん)板書(ばんしょ)をしているのです。パワーポイントを使(つか)ったり板書(ばんしょ)なしでしゃべり(つづ)けたりはしないのです。

 黒板(こくばん)板書(ばんしょ)する理由(りゆう)は、予備校(よびこう)にパソコンを(か)(よ)(さん)がないわけでも先生(せんせい)口下手(くちべた)なわけでもないでしょう。(ふ)(し)(ぎ)なことですが、板書(ばんしょ)をしながらしゃべるのがいちばん(こう)(か)(てき)だったからやっているのです

 なぜ黒板(こくばん)板書(ばんしょ)するのが効果的(こうかてき)授業(じゅぎょう)になるのか、(げん)(ざい)(か)(がく)ではその理由(りゆう)ははっきりとは解明(かいめい)されていませんが、おそらくは、先生(せんせい)(はなし)(き)きながら板書(ばんしょ)をノートに(うつ)すことで「先生(せんせい)(あたま)(ない)(よう)をコピーする」ことができるのです。

 勉強(べんきょう)とは、「(あん)()ゲーム」でなく「(あい)()(つた)えたいことをわかってあげるゲーム」だとお(はなし)しました。とすれば、学校(がっこう)授業(じゅぎょう)()ける(もく)(てき)は「学校(がっこう)先生(せんせい)(かんが)えをわかってあげること」、予備校(よびこう)授業(じゅぎょう)()ける目的(もくてき)は「()()(こう)先生(せんせい)(かんが)えをわかってあげること」です。

 授業中(じゅぎょうちゅう)(しゅう)(ちゅう)すべきなのは、()てきた(よう)()(おぼ)えるのではなくて、先生(せんせい)(あたま)(なか)()(かい)することです。

 もし、先生(せんせい)(あたま)自分(じぶん)(あたま)をケーブルでつないで、パソコンのデータをコピーするように(あたま)(なか)をコピーできたら、勉強(べんきょう)がすごく(かん)(たん)になるのですが、(げん)(ざい)()(がく)()(じゅつ)ではそんなことはできません。

 しかし、できるとすれば、先生(せんせい)()(かん)視覚(しかく)聴覚(ちょうかく)触覚(しょっかく)味覚(みかく)嗅覚(きゅうかく)(とく)視覚(しかく)聴覚(ちょうかく)触覚(しょっかく)(みっ)つ)をなるべくコピーすればそれに(ちか)いことができます。つまり、

 黒板(こくばん)板書(ばんしょ)()ながら(視覚(しかく)

 先生(せんせい)(はなし)()きながら(聴覚(ちょうかく)

 ノートに(うつ)す(触覚(しょっかく)

 ことで、先生(せんせい)(のう)自分(じぶん)(のう)にコピーできるわけです。この(のう)のメカニズムは、(のう)()(がく)(しゃ)(けん)(きゅう)してもらいたいところですが、(なん)にしろ(きょう)(いく)(げん)()効果(こうか)()ていることなのです。

 五感(ごかん)使(つか)うのが(じゅう)(よう)なので、「板書(ばんしょ)をそのまま丸写(まるうつ)しする」と()っても、視覚(しかく)黒板(こくばん)()るだけでなく聴覚(ちょうかく)でも「授業(じゅぎょう)をしっかり()きながら」という(ぜん)(てい)です。

 黒板(こくばん)(しゃ)(しん)(と)って()から(うつ)したり、友達(ともだち)のノートを(うつ)したりしては効果(こうか)(で)ません板書(ばんしょ)をノートに丸写(まるうつ)しするだけでは勉強(べんきょう)にならない」と(しゅ)(ちょう)する人たちがいますが、これは本当(ほんとう)は「板書(ばんしょ)(うつ)すのに一生懸命(いっしょうけんめい)(じゅ)(ぎょう)(き)いていないと勉強(べんきょう)にならない」という意味(いみ)です。先生(せんせい)がしゃべっていることをしっかり(き)くのは大前提(だいぜんてい)です。

 むしろ、板書(ばんしょ)()(がい)のことをノートに()こうとすると、先生(せんせい)(はなし)()いていられなくなるので、()(ぶん)なことは()かない(かた)授業(じゅぎょう)集中(しゅうちゅう)できます。

 また、「ノートに(いっ)(かい)(か)いただけでは(おぼ)えることができない。自分(じぶん)意見(いけん)や、授業中(じゅぎょうちゅう)(き)になったことをメモして(おも)(だ)しやすくするのだ」と(い)(ひと)もいますが、何度(なんど)もお(はな)しした(とお)り、そもそも勉強(べんきょう)目的(もくてき)は「(き)(おく)」ではありません。相手(あいて)(つた)えたいことをわかってあげることです。授業中(じゅぎょうちゅう)(なに)かを(おぼ)える必要(ひつよう)はないので、まずは先生(せんせい)(つた)えたいことに集中(しゅうちゅう)するべきなのです

 もちろん、自分(じぶん)()になったことや面白(おもしろ)いと(かん)じたことをノートに()くのは(わる)いことではありません。また、先生(せんせい)によってはあまり板書(ばんしょ)をせずしゃべり(つづ)ける人もいるでしょう。そんなときに、授業(じゅぎょう)をしっかり()いている前提(ぜんてい)で、(ほか)にも()きたくなったらノートに()いてもかまいません。

 ただし、先生(せんせい)板書(ばんしょ)しなかったことは基本的(きほんてき)にテストに()ません。()(のが)しても(しん)(ぱい)することは(なに)もないです。

(いろ)ペンや()(せん)はどう使(つか)うべきか?」

授業(じゅぎょう)()わった(あと)に、まとめノートを(つく)った(ほう)がいいのか?」

 という(しつ)(もん)にも(こた)えておきましょう。

 板書(ばんしょ)丸写(まるうつ)しする(もく)(てき)は、先生(せんせい)(のう)(み)(そ)をなるべくコピーしたいからなので、(いろ)ペンは「板書(ばんしょ)(おな)じように使(つか)う」のが正解(せいかい)です

 チョークの(しろ)(いっ)(しょく)しか使(つか)わない先生(せんせい)であれば(えん)(ぴつ)一本(いっぽん)でいいですし、(あか)(しろ)()(いろ)(あお)(みどり)もカラフルに使(つか)って板書(ばんしょ)する先生(せんせい)なら、(おな)(いろ)(そろ)えます。

 (おな)じように、()(おお)きさやレイアウトも、なるべく板書(ばんしょ)(さい)(げん)しましょう。

 先生(せんせい)によって板書(ばんしょ)上手(うま)下手(へた)はありますが、たとえ下手(へた)でもまずはそのまま(うつ)します。()()(りゅう)(じょう)()にレイアウトし(なお)すことができるようになれば、自己流(じこりゅう)(くわ)えてもよいですが、そのようなことができるためには、その(べん)(きょう)(ない)(よう)についてかなりの()(かい)(ひつ)(よう)です。そこまでできるなら、むしろ(じゅ)(ぎょう)()けなくても(だい)(じょう)()なほど理解(りかい)できています。

 なお、黒板(こくばん)付箋(ふせん)をつけることはほとんどないので、ノートにも付箋(ふせん)はいらないでしょう。

(じゅ)(ぎょう)()わったに、まとめノートを(つく)った(ほう)がいい」というのは、授業中(じゅぎょうちゅう)()ったノートはメモ()きのようで()にくいし、きれいに自分(じぶん)でまとめ(なお)した(ほう)がよいという意見(いけん)です。

 これはそれなりに(ただ)しいですが、ノートをまとめ(なお)すのは時間(じかん)がかかります。毎日(まいにち)学習(がくしゅう)()()れるのはかなり大変(たいへん)でしょう。

 ノートをまとめ(なお)すのが()きならばやってもよいですが、時間(じかん)(こう)(りつ)(わる)勉強(べんきょう)方法(ほうほう)(ぶん)(るい)されます。(わたし)(ちゅう)(がっ)(こう)のころに「ノートのまとめ(なお)し」にチャレンジしましたが、一週間(いっしゅうかん)であきらめました。

 さて、以下(いか)最強(さいきょう)のノート(じゅつ)3カ(じょう)をまとめました。シンプルですが、(だれ)にでも実行(じっこう)でき、かつ効果(こうか)(たか)いノートの()(かた)です。

 その1:板書(ばんしょ)丸写(まるうつ)しする

 先生(せんせい)板書(ばんしょ)下手(へた)でも丸写(まるうつ)しする。

 レイアウトや()の大きさはなるべくそのまま。

 (いろ)ペンも、先生(せんせい)使(つか)っているのと(おな)じように使(つか)う。

 その2:余分(よぶん)なことは(か)かなくてよい

 ()いてもよいですが、先生(せんせい)板書(ばんしょ)しなかったことはテストに()ません。

 その3:ただし、(はなし)をしっかり(き)くという前提(ぜんてい)(わす)れない

 ノート(じゅつ)(まえ)に、もっとも大事(だいじ)なことです。

(いん)(よう)(ぶん)(けん)(けん)(じゃ)(べん)(きょう)()(じゅつ) (たん)()(かん)(せい)()()げる「(たの)しく(まな)()」の(そだ)(かた)

(たに)(かわ)(ゆう)()(ちょ) CCCメディアハウス)

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