きみたちが学んでいるものの正体
「どうして勉強しなくちゃいけないんだろう?」
「なんで学校に行かないといけないんだろう?」
「理科や数学の知識が、社会に出てなんの役にたつんだろう?」
中学生にもなれば、誰もが一度は突き当たる疑問です。
(中略)
……当然の悩みだと思います。
それではなぜ、勉強はつまらないのか。ここには簡単な理由が隠されています。
レンガを積み上げて建物をつくっている場面を想像してみてください。このとき、あらかじめ「レンガを積み上げて、家をつくろう。完成したらみんなで暮らそう」と言われていたら、それなりにやる気も出ます。
でも、なんのためにレンガを積み上げているのか、誰も教えてくれなかったとしたら、どうですか? いつ終わるかもわからず、なぜ自分がやらなきゃいけないのかも教えてもらえない。かなりつらい作業になりそうですよね。
勉強だって同じです。
みなさんは、勉強そのものが嫌いなのではありません。
勉強という、「やる意味がわからないもの」をやらされていることが、嫌いなのです。
もう少し具体的に考えてみましょう。
世のなかには、いろんな種類の「学校」があります。
サッカー選手になりたい人が通う、サッカースクール。ダンサーになりたい人が通う、ダンススクール。料理人になりたい人が通う、調理師学校。自動車の運転免許をとるために通う、自動車学校。本や映画でおなじみのハリー・ポッターは、「ホグワーツ魔法魔術学校」という魔法学校に通っていましたね。
こういう学校では、「なにを学ぶのか?」がはっきりしています。
きっと、ハリー・ポッターだって、「魔法使いになるためには、この勉強が必要なんだ」と思いながら、魔法学校の授業を受けていたはずです。
さあ、ここで大きな疑問が浮かんできます。
みなさんは学校に通いながら、なにを学んでいるのでしょう?
なんのために、勉強をしているのでしょう?
いい高校、いい大学に進むため? そしていい会社に就職するため?
……そんなつまらないことのために勉強するなんて、あまりにも寂しい話ですよね。正解はもっと別のところにあります。
みなさんが学んでいるものの正体、それは「魔法」です。
ハリー・ポッターと同じ、「魔法」を学んでいるのです。
いま、みなさんは「魔法」の力で未来を変えるために、学校に通い、勉強をしています。まずはここから、講義をはじめましょう。
魔法はどこから生まれるか
いきなり、「魔法」と言われても、なんのことだかよくわかりませんよね。
むしろ学校の勉強なんて、ハリー・ポッターの映画とはまったく逆の、退屈でつまらないことばかりでしょう。
辞書で「魔法」の欄を引いてみると、「魔法をはたらかせて不思議なことを行う術。魔術。妖術」(広辞苑・第六版)と説明されています。そして実際、ハリー・ポッターやおとぎ話の魔法使いたちは、ほうきに乗って空を飛んだり、かぼちゃを馬車に変えてみせたり、「不思議なこと」をたくさんやってのけます。
でも、飛行機なんてもっと「不思議なこと」だと思いませんか?
日本とアメリカを結ぶ大型旅客機の重量は、150トン以上です。そんな鉄のカタマリが空を飛ぶなんて、どう考えても「不思議なこと」ですよね?
かぼちゃの馬車にしても、自動車のほうが何倍もすごいミラクルです。
馬が引っぱっているわけでもないのに、鉄のカタマリに油(ガソリン)が積んであるだけなのに、馬よりもずっと速く走る。しかも鉄は、石(鉄鉱石)からつくられている。要するに自動車って、石と油で走っているんですよ?
(中略)
飛行機をつくったのはライト兄弟であること。電球をつくったのはエジソンであること。その他さまざまな「魔法」が、人間の手によって実現したことを知っています。妖術や魔術ではなく、ごくふつうの人間たちが長年にわたって積み重ねてきた「技術」の力なのだと知っています。
あるいはもっと身近なところで、みなさんのお父さんやお母さんが若かったころと比べてみてもいいでしょう。
いまから数十年前、たいていの中高生は「ミニコンポ」と呼ばれるオーディオセットをもっていました。ミニコンポとは、CDやレコードのプレイヤー、カセットデッキ、ラジオなどが組み合させたオーディオセットのこと。みなさんのお父さんやお母さんは、これを使って自分の好きな音楽を聴いていたわけです。
自分の部屋にテレビがある中高生はまだまだ少なく、情報源はもっぱら雑誌とラジオでした。好きなアイドルやお笑い芸人、ミュージシャンなどの情報を、雑誌やラジオから仕入れていたわけです。インターネットのない時代ですから、当然でしょう。
そうなると、部屋の本棚にはたくさんの雑誌が並んでいます。アイドル雑誌、音楽雑誌、ファッション雑誌、ゲーム雑誌、スポーツの雑誌、ありとあらゆる雑誌です。もちろんマンガも大好きなので、マンガや小説などもたくさんもっていたでしょう。
それからゲーム。初代のファミコンが任天堂から発売されたのが1983年です。お父さんやお母さんの部屋にも、ゲーム機が置いてあったかもしれません。また、友だちが遊びに来たときには、トランプや将棋、ボードゲームなどで遊ぶことも一般的でした。
(中略)そして机の上には、国語辞典と英和辞典、和英辞典などの辞書が並んでいます。勉強しながらわからない言葉や英単語に出会ったら、辞書を引いて調べるわけです。
……ここまでの話を聞いて、気づいたことはありませんか?
勘のいい人ならこう思ったはずです。
「そんなの、ぜんぶスマホでできるじゃん!」
そう。音楽を聴くこと、最新情報を仕入れること、本やマンガを読むこと、ゲームで遊ぶこと、時間を知り、写真を眺め、わからない単語を調べること。これらすべてが、いまではスマホ1台でこなせるようになりました。
もちろんスマホがあれば電話もできるし、LINEやツイッターで友だちと連絡をとり合うことも、写真や動画を撮影することもできます。わざわざ誰かの「部屋」に集まらなくても、みんなが「スマホのなか」に集まっている。中高生時代のお父さんやお母さんにスマホを見せたらどれだけ驚くことでしょう?
みなさんが学校でなにを学んでいるか、なぜ学校に通っているか、なんとなくわかってきましたか?
いま、みなさんがあたりまえに暮らしている21世紀は「魔法の国」だということ。
そしてみなさんは、学校という場所で「魔法の基礎」を学んでいること。
どんな大発見や大発明も、すべては学校で学ぶ知識をベースに成し遂げられてきました。国語、数学、理科、社会、そして英語。これらはすべて、みなさんがあたらしい未来をつくっていくための「魔法の基礎」なのです。
勉強の目的は、いい高校や大学に合格することでも、いい会社に就職することでもありません。もっと大きな、もっと輝かしい未来をつくるために、勉強しているのです。
学校は、未来と希望の工場である。そんなふうにいってもいいでしょう。
引用文献『ミライの授業』(瀧本哲史著 講談社)