身の丈にあった生き方=いちばん得な生き方。(菅 広文)

 大人が子供に言われて答えにくい質問。

 それは「学校の勉強をして意味あるの?」。

 また「XとかYとか大人になっても使わないでしょ? 円周率も使わないし、台形の面積なんかどこで測るの?」もそうでしょう。

 僕も学生の時は思ってしまいました。

「なんで普段生きていて使わないことを勉強しないといけないんだろう」と。

 子供を持つ親の方は、なんて答えていいかもわからないし、仕事や家事で忙しい時は「いいから勉強しなさい!」と突き放した言い方をしてしまうのではないでしょうか?

 子供の時は与えられる環境が当たり前だと思っているのでわからなかったのですが、大人になるとなんとなくわかりました。

 それは「普段生きていて使わないことを大人になってからも継続して勉強してくれた人のおかげで、今自分は生活出来ている」ということです。

 XやYなど、数学を駆使した凄いバージョンでビルや道路が出来ます。

 日本史を凄く勉強してくれた人のおかげで、昔のことがわかります。

 地学などの気候に関する勉強をしてくれた人のおかげで、天気予報がわかります。

 僕は、学校の勉強は、スポーツにおける運動前のストレッチだと思います。

 どのスポーツをするにしても、ストレッチは大切ですよね?

 つまり学校の勉強は、スポーツでいえば「あなた方はこれからどのスポーツをするかわかりません。でもどのスポーツをするにしても大切なストレッチのやり方は教えます」だったのではないかと。

 では大人の方。

「学生の時にXやYの使い方や、あれだけ必死に覚えた日本史のことを忘れてしまったから、意味なかったのかな?」と思ってしまっていませんか?

 そんなことはないと思います。

 たとえそうした結果(忘れてしまった)でも、それまでの過程(身の丈にあった勉強法)は身についていると思います。

 社会人の方で仕事が上手くいっていないと感じている方は、この過程をおろそかにしているのではないでしょうか?

また「良い高校・良い大学に入って意味があるのか?」と質問されることもあります。

「これだけ勉強頑張って意味あるの? だって東大や京大に行ったけど、失敗している人もいるやんか?」と。

 高学歴の人は、自分で言うと自慢や嫌味に聞こえるから言わないだけです。

 中学歴の僕が代わりに言いたいと思います。

「ほとんどの人がいわゆる成功しているよ!

 失敗する方(本人は失敗と思っていないことが多数。自分がやりたいことをやっている可能性大)がまれやから目立っているだけやで!

 だからメディアに取り上げられているだけ!」

 また最近では「学校の勉強は意味がない」という風潮もありますよね?

 メディアなどでも「学校の勉強は社会人になったら意味がない。なぜなら……」と言う人いますよね?

 言っている人に注目してください。

 もれなく高学歴です。

 自分は沢山学校の勉強をした後に言っています。

 そりゃそうなんです。

 もし仮に、僕が「学校の勉強は社会人になったら意味ないよ」って言っても誰も耳を傾けないでしょう。

「いやいやあんた中学歴やがな」と思いません?

 ではなぜ高学歴の方が言うと説得力があるのでしょう。

 まずは高学歴だからです。

 つまり結果を出しているから。

 そしてもう一つの要因が大切だと思います。

 それは「説得力のある言い方が身についているから」ではないでしょうか?

 説得力のある理路整然とした言い方をするので、耳を傾けてしまいます。

 では説得力のある理路整然とした言い方、もしくは考え方は、どこで身についたのでしょうか?

 国語の文章問題などの学校の勉強をしたからではないでしょうか?

「いやいや。社会人になってから身についたけど」と反論される方もいるでしょう。

 でも、学校の勉強もした上でのものなので「社会人になってから出来るようになったのか」はわかりませんよね?

 また、先ほどの高学歴の方の意見を真に受けて、「よし! 学校の勉強はいらない!」と思って勉強しないとしますよね?

 その人の意見を誰が聞くでしょうか?

 誰も聞きません。

 聞くとしても、ある程度社会的に成功してからでしょう。

 学校の勉強をしなくても成功したという人もいるかもしれません。でも、「学校の勉強をしなかったから成功した」とは言い切れませんよね?

 というのも、人生に二度目はないので「勉強した方が良かったか? しなかった方が良かったか?」はわからないからです。

 芸人の世界には学歴がある人もない人もいます。

 もちろん学歴に関係なく、売れる人は売れていきます。

 そして売れて家庭を作ります。

 僕が体感した傾向があります。

 それは「学歴があろうが、なかろうが、自分の子供には学歴を求める」傾向です。

 学歴がなくても売れたのに、自分の子供には学歴を求めます。

「学歴が必要であること」を体感しているからです。

 全てではないですが、一つの物差しになるのではないでしょうか?

 なぜ僕がこんなに、いわゆる高学歴の方の味方をしてしまうのか?

 それはひとえに「頑張っている姿」を見ているからです。

 僕は中学歴です。

 高学歴の方はもれなく、僕より頑張っていました。

 宇治原も、僕よりも頑張って勉強をしていました。

 僕以外の友達を作らずに、勉強を頑張っていました。

 センター試験のプレッシャーで失神するくらい勉強を頑張っていました。

 後々白髪になるくらい勉強を頑張っていました。

 だから僕は、胸を張って宇治原を尊敬していると言えます。

 また高学歴の方は、スポーツで結果を残した方よりも、結果を言いにくい現状があると思います。

「高校野球で甲子園に行った」と同じように、勉強を頑張った結果「東大・京大に行った」と言える環境になればいいなと僕は思います。

「東大・京大に行ったこと」を言いにくい皆さん。

 宇治原を見て下さい。

 京大って四六時中言っています。

 口を開けば京大と言っています。

 大丈夫です。

 そこまで嫌われません。

 少なくとも僕は尊敬しています。

引用文献:『身の丈にあった勉強法』(菅 広文 幻冬舎刊)

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