再新再生は成長と変化を繰り返しながら、螺旋階段を登るようにして自分自身を継続的に高めていく原則である。
この螺旋階段を確実かつ継続的に登っていくためには、再新再生に関するもう一つの側面について考える必要があり、それによって人は螺旋階段を降りるのではなく、上へ上へと登っていけるのである。それは人間だけに授けられた能力の一つ、良心である。フランスの小説家スタール夫人の言葉を借りよう。
「良心の声はいかにもか細く、もみ消すことは簡単である。しかしその声はあまりにも明解で、聞き間違えることはない」
良心とは、心の声が聞こえる限り私たちが正しい原則に従っているかどうかを感じとり、正しい原則に近づかせてくれる持って生まれた才能なのだ。
スポーツ選手にとっては運動神経と肉体を鍛えることが不可欠であり、学者にとっては知力を鍛えることが不可欠であるように、真に主体的で非常に効果的な人間になるためには良心を鍛えなければならない。しかし良心を鍛えるには、より高い集中力、バランスのとれた自制心が必要であり、良心に誠実であることを常に心がけなければならない。精神を鼓舞するような書物を定期的に読み、崇高な思いを巡らせ、そして何より、小さく、か細い良心の声に従って生きなければならないのである。
ジャンクフードばかり食べ、運動しない生活を続けていけば肉体の調子がおかしくなるのは当然である。それと同じように、下品なもの、猥褻なもの、卑劣なものばかりに接していたら、心に邪悪がはびこって感受性が鈍り、善悪を判断する人間本来の自然な良心が追いやられ、「バレなければかまわない」という社会的な良心が植えつけられてしまう。
ダグ・ハマーショルドは次のように語っている。
己の中の野性が暴れるとき、人は完全に動物になっている。嘘をつくとき、人は真理を知る権利を放棄している。残酷な行為を働くとき、人は知性の感覚を失っている。きれいな庭をつくりたい者は、雑草の生える場所を残しておきはしないのだ。
私たち人間は、いったん自覚を持ったなら、自分の人生を方向づける目的と原則を選択しなければならない。その努力を怠ったら、刺激と反応の間にあるスペースは閉ざされ、自覚を失い、生存することと子孫を残すことだけを目的に生きる下等動物と同じになってしまう。このレベルで生存している人は、生きているとは言えない。ただ「生かされている」だけである。人間だけに授けられた能力は自分の中でただ眠っていて、それらを意識することもなく、動物のように刺激して反応して生きているにすぎないのである。
人間だけに授けられた能力を引き出し、発揮するのに近道はない。収穫の法則はここでも働いている。種を蒔いたものしか刈り取れないのであって、それ以上でもそれ以下でもない。正義の法則は時代を超えて不変であり、自分の生き方を正しい原則に近づけるほど、判断力が研ぎ澄まされ、世の中の仕組みがよく見えてくるし、私たちのパラダイム―—私たちが生きる領域を示す地図―—も正確になっていくのである。
上向きの螺旋を登るように成長していくためには、良心を鍛え、良心に従って再新再生のプロセスを一歩ずつ進んでいく努力をしなければならない。良心が鍛えられれば、私たちは自由、内面の安定、知恵、力を得て、正しい道を歩んでいくことができる。
上向きの螺旋階段を登るには、より高い次元で学び、決意し、実行することが求められる。このうちのどれか一つだけで十分だと思ったならば、それは自分を欺いていることになってしまう。たえず上を目指して登っていくには、学び、決意し、実行し、さらにまた学び、決意し、実行していかなくてはならないのである。
引用文献『完訳 7つの習慣』(スティーブン・R・コヴィー著 キングベアー出版)