格差のもとは学問の有無にある(福沢諭吉・小畑篤次郎)

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という言葉があります。

 つまりこういうことです。人間が生み出されたときは、みんな同じ階級で、生まれつき高貴な人と(いや)しい者の差もなく、万物の(れい)(ちょう)としての心と体で、自然界のあらゆる物を使って衣食住をまかなっていた。一人ひとりが、人の(じゃ)()をせず、自由に世渡りしていたのだ、と。

 しかし、いまこの社会を見渡してみれば、賢い人もいれば、(おろ)かな人もいる。貧しい人もいれば、裕福な人もいる。貴人もいれば、(せん)(みん)もいる。

 このように(ぼう)(だい)な格差があるのはなぜでしょうか。

 理由は明らかです。『(じつ)(ご)(きょう)』に「人学ばざれば智なし、智なき者は(ぐ)(じん)なり」とあります。つまり、賢人と愚人との差は、学ぶか、学ばないかによって生まれるものなのです。

 また、世の中には、難しい仕事もあれば、簡単な仕事もあります。その難しい仕事をする人を地位のある人と呼び、簡単な仕事をする人を地位の軽い人と呼びます。たいてい頭を使う仕事は難しく、肉体労働は簡単です。

 よって、医者や学者、国の役人、大きな商売をしている経営者、たくさんの(ほう)(こう)(にん)を使う大農家などは、地位も高く、上流の人と言われています。上流階級ならば、自然とその家は豊になる。普通の人では(とう)(てい)かなわないかに見えます。

 しかし、その原因は何かといえば、ただその人に学問の力があるか、ないかによって差が生まれているのです。天が決めたことではありません。

「天は、富貴を人に与えるのではなく、その働きに与える」ということわざがあります。つまり、さっきも言ったとおり、人には生まれながらの(き)(せん)や貧富の差はありません。ただ学問をして物事をよく知る人は地位の高い金持ちになり、無学な人は、貧しい人になり、地位の低い人になるのです

引用文献『学問のすすめ』初編(福沢諭吉・小畑篤次郎 同著)現代語訳 奥野宣之(致知出版) 

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