「やり抜く力」が強すぎて「困る」ことはない(アンジェラ・ダックワース著)

 もうひとつ、まだ研究で解明していない問題がある。

「やり抜く力」が強くなりすぎる場合もあるだろうか?

 アリストテレスは、たとえよい性質でも強すぎたりするのはよくないとして「(ちゅう)(よう)の徳」を説いた。たとえば、過度の勇気は「(ばん)(ゆう)」になり、勇気がなさすぎれば「臆病」になるという考え方だ。そうすると、優しすぎたり、寛大すぎたり、自制心が強すぎたり、バカ正直だったりするのも、よくないということになる。

 この問題については、心理学者のアダム・グラントとバリー・シュワルツが研究した結果、どのような性格的特徴についても、長所が表れる最適なポイントは逆U字形の頂点であり、左右の両極端から見て中間であると考察した。

 この「逆U字形」はまさにアリストテレスの説いた「中庸」を表しており、グラントとシュワルツは「外向性」など多くの性格的特徴がこれに当てはまることを発見した。しかし、これまでのところ、「やり抜く力」については「逆U字形」の頂点(中庸)が最適であることを示す現象は確認されていない。

 とはいえ、「やり抜く力」についても「逆U字形」が当てはまる可能性がないとは言えないだろう。たとえば、なにかをやめることが最善である場合も「やり抜く力」が強すぎてやめられないというケースが考えられる。さっさと頭を切り替えるべきなのにひとつの考え方に固執したり、自分に合わないスポーツや仕事を続けたり、恋人との関係を長引かせたりしてしまったことが、あなたにもあるかもしれない。

 私自身の経験では、自分にはそれほど興味も才能もないと自覚した時点で、ピアノをやめることにしたのは非常によい決断だった。本当はもっと早くやめてもよかったのだ。そうすればピアノの先生も、私が1週間まったく練習をせずに、どの曲もほとんど初見で弾くのを、我慢して聴かなくてもすんだのだから。

 フランス語の上達をあきらめたのも、よい決断だった(フランス語の練習は楽しかったし、ピアノよりもずっと早く進歩したのだが)。ピアノの練習時間とフランス語の勉強時間が減ったおかげで、時間をもっと有効に使えるようになった。

 だから、始めたことは何でもかんでも最後まで続けようとすると、もっと自分に合っていることを始める機会を見失ってしまう可能性が高い。なにかをやめて、もっと簡単なことを始める場合もあるかもしれないが、自分にとってももっとも重要なことにだけは、しっかりと感心を持ち続けるようにしたい

「やり抜く力」が強くなりすぎる可能性を私があまり懸念していないのは、そのような可能性はあまりにも現実離れしているからだ。あなたは帰宅したとたんに、パートナーにこんな愚痴をこぼすことがしょっちゅうあるだろうか?

「まったく、うちの連中はみんなやり抜く力が強すぎるよ! これと決めた目標は絶対にあきらめないんだから。すさまじい執念だよ。もう少し適当にやってくれればいいのに!」

 先日、私は300名のアメリカ人の成人を対象に調査を行った。参加者にはグリット・スケールに回答してもらい、そのあとスコアを伝え、感想をたずねた。すると、多くの人は自分のスコアに満足したが、なかにはもっと「やり抜く力」を強くしたいと答えた人たちもいた。ところが、「やり抜く力」をもう少し弱くしたいと答えた人はひとりもいなかった

 このように、ほとんどの人は「やり抜く力」を強くしたいと思っていると、私は確信している。なかにはグリット・スコアが強すぎて外れ値を示し、これ以上「やり抜く力」は必要ないという人もいるかもしれないが……。それはきわめて稀なケースと言えるだろう。

引用文献『やり抜く力――人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける』(アンジェラ・ダックワース著 神崎朗子訳)ダイヤモンド社

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