だが、エリクソンの研究によるもっとも重要な洞察は、エキスパートたちの練習時間が並外れて多いことではない。いちばん重要なことは、エキスパートたちの練習のしかたが、他とは一線を画するという点だ。
ふつうの人びととちがって、エキスパートたちは、ただ何千時間もの練習を積み重ねているだけではなく、エリクソンのいう「意図的な練習」(deliberate practice)を行っている。
練習が大事だというなら、練習しても必ずしも最高のレベルまで上達するとは限らないのはなぜだろうか? エリクソンならその疑問に答えてくれるはずだと思い、私は自分自身のケースを例にたずねてみることにした。
「エリクソン教授、私は18歳のときから週に数回、1時間のジョギングを行っています。でも、ちっとも速くならないんです。もう何万時間も走っていますが、とてもじゃないけれどオリンピックには出られそうにありません」
「そうですか」エリクソンは言った。「いくつか質問をしてもいいですか?」
「どうぞ」
「具体的なトレーニング目標はありますか?」
「健康のため、ちゃんとジーンズを穿けるように、ってところでしょうか」
「なるほど。これぐらいのペースで走りたいという目標はありますか? あるいは距離でもいい。つまり、ランニングのスキルの上達を目指して、具体的な目標を持っているか、ということです」
「うーん、ないですね」
「走っているときは、どんなことを考えていますか?」
「そうですね、ラジオを聴きながら走っているんですが、その日にやるべきことを考えたり、夕食のメニューを考えたりします」
「では、体系的な記録はつけていないんですね?」念を押すようにエリクソンは訊いた。たとえば、どのくらいのペースで、どのくらいの距離を走ったか、どんなルートを走ったか、何回くらい全速力で走ったか、終了時の心拍数はいくつか、などだ。
私は不思議に思った。どうしてわざわざそんなことを? いつも同じように走っているから、とくに変わった点などないのに。
「では、コーチについていないんですね?」
これには思わず笑ってしまった。
「ふむ」エリクソンは満足気に言った。「わかりましたよ。あなたが上達しないのは、意図的な練習をしていないからです」
エキスパートはこの「3つの流れ」で練習する
いっぽう、これがエキスパートたちの練習法だ。
1.ある一点に的を絞って、ストレッチ目標〔高めの目標〕を設定する。
このときエキスパートたちは、すでに得意なところをさらに伸ばすのではなく、具体的な弱点の克服に努める。あえて自分がまだ達成していない困難な目標を選ぶのだ。
オリンピックの競泳金メダリスト、ローディ・ゲインズはこう語った。
「練習のたびに、あえて厳しい目標を課すことにしています。たとえば、コーチに100メートルを10本、目標タイムは1分15秒でやれと言われたとします。翌日も100メートルを10本やれと言われたら、こんどは自分で目標タイムを1分14秒に設定するんです」
また、ヴィオラの巨匠、ロベルト・ディアスはこう言っている。「アキレス腱を見つけること――その曲のなかでうまくできない部分を洗い出して、克服しなければならない」
2.しっかりと集中して、努力を惜しまずに、ストレッチ目標の達成を目指す。
面白いことに、多くのエキスパートはひとの見ていないところで努力する。偉大なバスケットボール選手、ケヴィン・デュラントはこう言っている。
「練習時間の7割は、テクニックを磨くためにひとりで練習する。一つひとつのテクニックをしっかり調整したいからね」
音楽家の場合も同様に、グループやほかの音楽家と練習するよりも、ひとりで練習する時間が多い人ほど、スキルの上達が早いことがわかっている。
さらにエキスパートたちは、自分のパフォーマンスが終わるとすぐ、熱心にフィードバックを求める。この段階では、どうしても否定的なフィードバックが多くなる。つまりエキスパートたちは、うまくできた部分よりも、うまくできなかった部分を知って克服したいのだ。すみやかにフィードバックを求めること。そして否定的なフィードバックにしっかりと対処することは、どちらもきわめて重要だ。
(中略)
3.改善すべき点がわかったあとは、うまくできるまで何度でも繰り返し練習する。
ストレッチ目標を完全にクリアできるまで――以前はできなかったことが、すんなりと完璧にできるようになるまで。できないと思っていたことが、考えなくてもできるようになるまで。
(中略)
では……そのあとは? ストレッチ目標を達成したあとは、どうするのだろう?
エキスパートたちは新たなストレッチ目標を設定し、弱点の克服に努める。小さな弱点の克服をこつこつと積み重ねていくことが、驚異的な熟練の境地に至る道なのだ。
「フロー」と「やり抜く力」は密接に関連している
(前略)
大変な努力を要する「意図的な練習」を行うには、「うまくなりたい」という強い意欲が最大の動機となる。あえて自分の現在のスキルを上回る目標を設定し、100%集中する。自分の理想、すなわり練習前に設定した目標に少しでも近づくために、言わば「問題解決」モードに入って、自分のあらゆる行動を分析する。フィードバックをもらうが、その多くはまちがっている点を指摘するものだ。指摘を受けて調整し、また挑戦する。
いっぽう、フローのときに優勢なのは、まったく別の動機だ。フロー状態は本質的に楽しいもので、スキルの細かい部分が「しっかりとうまくやれているか」など気にしない。よけいなことはなにも考えず、完全に集中しており、「問題解決」モードとはかけ離れた状態だ。自分の行動をいちいち分析せずに、無心で没頭している。
(中略)
「意図的な練習」は準備の段階で、フローは本番で経験するものだと言える。
なぜ彼らはつらいことを「楽しく」感じるのか?
(前略)
「やり抜く力」の強い生徒は、ほかの生徒たちよりも大変な思いをして「意図的な練習」に取り組んでいたが、同時に「楽しさ」もよけいに感じていた。
この結果をどう解釈すべきか、確信をもって判断するのは難しい。ひとつの可能性としては「やり抜く力」の強い生徒たちは、他人よりも多く「意図的な練習」に取り組んでいるうちに、しだいに努力が報われるようになり、努力をすることじたいが好きになるという考え方ができるだろうか。「努力の結果が出たときの高揚感がクセになる」というわけだ。
もうひとつの可能性は、「やり抜く力」の強い生徒はほかの生徒よりも、努力することを「楽しい」と感じるので、他人よりも多く練習するという説。「困難なことに挑戦するのが好きな人たちもいる」というわけだ。
困難な目標に挑戦するのを好んでいる
(前略)
そこで私は、スペリング大会の優勝者ケリー・クローズに、「意図的な練習」のあいだにフロー状態を体験したことがあるかどうかをたずねてみた。「ないです。私が一度だけフロー状態を体験したのは、必死にがんばっているときじゃありませんでした」
だが、いっぽうで、ケリーは「意図的な練習」には独特の満足感があると言った。
「勉強のなかでいちばんやりがいを感じたのは、自分で大きな課題を細かく分けて、それを一つひとつ達成していくことです」
ラクな「練習」はいくら続けても意味がない
(前略)
「意図的な練習」の基本的な要件は、どれも特別なものではない。
●明確に定義されたストレッチ目標〔高めの目標〕
●完全な集中と努力
●すみやかで有益なフィードバック
●たゆまぬ反省と改良
しかし、この4つの項目すべてに該当するような練習を、ふつうの人は何時間くらい行っているだろうか?
(中略)
長くても1日数時間が限度だ。
ジュリアード音楽院のパフォーマンス心理学者、ノア・カゲヤマは、2歳でヴァイオリンを始めたが、「意図的な練習」を始めたのは22歳になってからだった。いったいなぜだろうか? もちろん、彼にやる気が欠けていたわけではない。子どものころから4人の先生に師事し、3つの街へレッスンにかよっていたほどだ。
問題は、カゲヤマが練習について肝心なことを理解していなかったことだった。ところが、練習にも科学的知識にもとづいた技術があること、つまり、スキルをもっと効率よく向上させる方法があることを理解したとたん、練習の質も、満足度も、急激に著しく向上したのだ。カゲヤマは現在、心理学者として、自分の習得した知識をほかの音楽家たちに伝えるべく尽力している。
引用文献『やり抜く力――人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける』(アンジェラ・ダックワース著 神崎朗子訳)ダイヤモンド社