なぜ、本気でやって成績が上がらないのか なぜ人は学歴を気にするのか(林修) 

――本気でやって成績が上がらない場合は、何が原因なんでしょうか。

「一番多いのは、単純に量不足です。進学校の生徒は、外部の生徒から見るとびっくりするくらい勉強をやっています。一方で、周囲のレベルがあまり高くなくて、知らず知らずのうちに低い基準で判断していると、『(おれ)はこんなにやっているんだ』と(おも)ってしまうんです。ところが、その(りょう)(じ)(たい)が、(じつ)はそれほど(おお)くないという(ば)(あい)(だん)(ぜん)(おお)いです。

 さらに、(いま)の日本の(がっ)(こう)システムにおける(もん)(だい)(てん)もあります。それは、(せい)(と)(り)(かい)していようがいまいが、とにかく(いち)(りつ)(がく)(ねん)(あ)げていってしまうということです。そうすると、(たし)かにその学年(がくねん)でやっていることに(たい)しては、ものすごい(りょう)をやって(がん)(ば)っているかもしれないけれども、そこまでの(き)(そ)ができていなければ、その(がん)(ば)りが(つ)み上がっていかず、(けっ)(か)にも(あらわ)れないということが、往々(おうおう)にして(お)きます。本当(ほんとう)問題(もんだい)(お)きているところまで(もど)って、そこから(りょう)(つ)(あ)げていかねばならないんですが、今の(せい)(ど)ではそれがしづらいんです。

 そして、よく(い)われることですが、(べん)(きょう)というものは今日頑張(きょうがんば)ったからすぐ明日(あした)からできるようになるものではありません。(せい)(か)はかなりたってから(で)てくるのが(ふ)(つう)です。それで、(せい)(か)(あらわ)れが(おそ)いことに(あせ)(せい)(と)も出てくるわけですが、それを(ほん)(にん)(み)(きわ)めるのはなかなか(こん)(なん)です。

 (せい)()しましょう。

 まず、本人はやっているつもりでも、(じつ)(たん)(じゅん)(りょう)()りない()(あい)があります。そして、(かり)(りょう)(てき)には(じゅう)(ぶん)であっても、その()()()けていて、(じつ)()になっていないという()(あい)もあります。さらに、(たん)(せい)()が出るのに時間がかかっているだけという()(あい)もあります。こういう()(きわ)めを、(ほん)(らい)なら(きょう)()(がわ)(おこな)わなければならないということになるでしょうね。

 ただ、日本の(きょう)(いく)(だん)(たい)(きょう)(いく)ですから、学校の先生がそこまでしなければならないというのは、あまりにも()(こく)(よう)(きゅう)だと(おも)うんです。生徒から()(べつ)(てき)(そう)(だん)があればそれに(こた)えなければならないでしょうが、学校の先生は、まずはクラスという(だん)(たい)(あい)()にきちんと(じゅ)(ぎょう)(おこな)えば、(せき)()()たしているといってよいと(おも)います。

 ()(そう)は、クラス(ぜん)(いん)ができるようになることです。それは(とう)(ぜん)です。しかし、(げん)(じつ)には(むずか)しい。それぞれ、生徒()(じん)(てき)(せい)()がありますから。だから、システムを変えて、(たっ)(せい)()(おう)じて()(もく)(べつ)(しん)(きゅう)(みと)めるような(ほう)(さく)(のぞ)ましいんです。

 たとえば、(いち)(ばん)(こう)()が大きそうな算数の()(あい)だと、(ちゅう)(がく)(にゅう)(がく)()に小学校3年生まで終わっているクラス、4年生まで、5年生まで、6年生まで……というようなクラスを組むとか。(たし)かに(こう)()は上がり、それぞれがよく()(かい)できるはずなんですが、(じっ)(さい)にはクラスの(へん)(せい)(たい)(へん)でしょうね」

なぜ人は(がく)(れき)()にするのか

――(がく)(れき)とはなんでしょうか。(よう)するに、みんな学歴をものすごく気にするということなのですが。なぜ人は学歴を気にするものなのでしょうか。

学歴(がくれき)とは、(ほん)(らい)、どの大学を(そつ)(ぎょう)したのかを(しめ)()(ひょう)なのですが、(さき)にも()べたように、大学に(にゅう)(がく)できればほぼ()(どう)(てき)(そつ)(ぎょう)できる日本においては、(けっ)(きょく)、どの(だい)(がく)(にゅう)(がく)したのかを(あらわ)()(ひょう)となっています。(きょく)(ろん)すれば、どの(てい)()(じゅ)(けん)(がん)()ったのかを(しめ)()(ごう)なのです。(すい)(せん)(にゅう)()(など)もあるにはありますが、(いっ)(ぱん)(てき)には『(がく)(れき)(じゅ)(けん)(りょく)』という(こう)(ぞう)になっているかと(おも)います。

 学歴がこのようなものであるとすれば、(すく)なくとも、()められた(はん)()のことをどのレベルでやったかということの(しょう)(めい)(しょ)にはなります。ただ、その『()められたこと』が本当(ほんとう)()()のあることかどうかは(あや)しいのですが。たとえば、英語の()(あい)(たん)()()っているか、(えい)(さく)(ぶん)()けるか、in(イン) (      ) of(オブ)(くう)(しょ)front(フロント)補充(ほじゅう)できるかなんて、長い(じん)(せい)から()ればそれほどの(だい)()とは()えませんよね。

 しかし、(だい)(がく)によって(ちが)いはあっても、(にゅう)()(しゅつ)(だい)(はん)()はそれほど(せま)くはなく、(あたま)()れなければならない(じょう)(ほう)(りょう)(そう)(とう)あるのが()(つう)です。(とく)に、いわゆる(なん)(かん)と言われている大学になればなるほど、(よう)(きゅう)される(じょう)(ほう)(りょう)()えます。漫然(まんぜん)とやっていたら頭に入れることはとても(こん)(なん)で、(つう)(じょう)()(あい)、やはり自分なりに()(ふう)して、やりたいことも()(せい)にしつつ、()(みち)に勉強するしかないのです。ということは、(なん)(かん)(だい)(がく)(にゅう)()()かった(せい)()は、そういうことをしっかりやってきたということを、(いち)(おう)(しょう)(めい)しています。そういうことを(ぜん)(ぜん)やっていない人とやってきた人を、たとえば、(しゅう)(しょく)(かつ)(どう)(さい)に、()(ぎょう)(てき)(せつ)()()けられますか?」

――(がい)(けん)だけだとわからないですね。

「そうですよね。(き)(ぎょう)(がく)(れき)で人を(と)ることは、(じつ)(た)(しゃ)(き)(じゅん)(たよ)っているということなんです。(ほん)(とう)(じ)(りき)で人を(み)(ぬ)く目があれば、(がく)(れき)など気にせずに、この学生は(ゆう)(しゅう)だが、こちらの学生はいまひとつだ、と(はん)(だん)をすればいい。(じっ)(さい)にそうしている(き)(ぎょう)もあります。しかし、(げん)(じつ)にはなかなか(むずか)しい。だから、学歴(がく)(れき)は、ある(き)められたことを、ある(すい)(じゅん)(し)(あ)げることができた『(にん)(たい)(りょく)』の(しょう)(めい)(しょ)として、(き)(ぎょう)が学生を(えら)(き)(じゅん)として(さい)(よう)されている、ということだと思うんです。(じっ)(さい)、そういう力は、社会に出てからも(ひつ)(よう)な力であることは(ま)(ちが)いありませんからね。

 ですが、(ほん)(とう)はそれだけのものなのに、(がく)(れき)()(だい)(あつか)いを()けて、あたかもその人間の(のう)(りょく)そのものであるかのように()(かい)されている点があるのは、よくないことだなあ、と常々感(つねづねかん)じています」

引用文献『受験必要論 人生の基礎は受験で作り得る』(林修著 集英社文庫)

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