どうすれば見識が高まるか(福沢諭吉著)

 さて、では人の見識を高いレベルに持っていって、そんな行為をさせるには、どうすればいいのでしょうか。

 それは「ものごとの(あり)(さま)を比較して、上を目指し、決して自分に満足しない」という一点に尽きます。

 ただ、(あり)(さまを比較するといっても、ただ一部だけを比較するのではありません。自分自身の有様と他の人の有様とを並べて、双方の長所も短所も、何一つ残さずに観察するわけです。

 たとえば、いま若い学生が(しゅ)(しょく)(おぼ)れるようなこともなく、まじめに勉強していて、父兄や長老に(しか)られるようなこともなければ、得意満面かもしれません。

 しかし、その長所はただ、ほかの馬鹿学生に比べた場合の長所でしかありません。まじめに勉強するのは人間として当たり前のことであって、(しょう)(さん)するには足りません。人間としての約束は、また別のもっとレベルの高いものでなければなりません。

 幅広く古今の人物を調べて、その人物と比較して、同じくらいの功績を挙げているならこれに満足していてもいいでしょう。ここで大事なのは、必ず一流の人物を目指すことです。

 また、自分に長所が一つあって、他の人に二つある場合、自分はその一つの長所に満足してはいけません。ましてや後の世代の人は前の世代の人より優れていなければならないのだから、たとえ自分の事業が空前のもので、比較すべき古人や先輩がいなくても、みずからの功績に安心せず、いよいよ(はっ)(ぷん)しなければなりません。現代人の職分はとてつもなく重大なのです。

 ところが、いまちょっとまじめに勉強しただけで人類の義務を果たしていると思っている人がいます。思い上がりも(はなは)だしい。

 酒色に溺れる者は、人間ではなくゴミと言うべきなのです。ゴミと比較して満足する者は、たとえば、目が見えることを得意として(もう)(じん)に勝ち誇っているようなもので、馬鹿丸出しです。

 つまり酒食がどうだこうだという話をして、(ろん)()したり是非を語ったりしているうちは、低レベルな議論をしていると言わざるをえません。人の普段の行いが、だんだんよくなってきているなら、こんな議論はとっくに終わっていて、言葉に発しても誰も相手にしてくれないはずでしょう。

引用文献『学問のすすめ』一二編(福沢諭吉著)現代語訳 奥野宣之(致知出版)

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