学校は生徒が「わかる」まで責任を負う場所ではない(藤原和博)

 保護者には初耳だと思うし、今から私が述べることを聞けばギョッとするかもしれない。これも教員の間では、タブーに属することだからだ。

 たいていの人は、学校とは「知識を得るために通う場所」「わかるようになるために通っている場所」と考えているはずだ。そして学校の先生は、児童生徒が「わかる」ための仕事をしているのだ、と。

 残念ながら、それは違う。

 学校に行けば「わかる」ようにはならない。「わかったつもりになる」ことは可能だ。つまり、学校というのは、児童生徒を「わかったつもり」にさせるところなのである。決して「わかる」まで責任を負う場所ではない。

 これは、私が尊敬する井出隆安・元杉並区教育長(前任は東京都で6万人の教員を従える教育庁の指導部長)がある会議で発した言葉だったが、目からウロコの想いがした。驚いた。が、そりゃそうだ、とすぐに納得した。

 教室で一度説明されただけで、一定の知識が身につくと思ったら大間違いだ。

 それができれば天才だろう。普通は予習してきたり、塾ですでにやったことであったり、復習して練習問題を解いたりして、ようやく「わかる」状態になる。

(中略)

 学校は「わかるようになる」場所ではなく、「わかったつもりになる」場所だという現実。これを聞いてショックだっただろうか?

「エーッ、学校って最後まで面倒見てくれるんじゃあなかったの?」

「学力の保証は先生の責任じゃないの!」

 そう思われた方は、ますます本書を最後まで読み通してもらいたい。 

引用文献『学校がウソくさい 新時代の教育改造ルール』(藤原和博著)朝日新書

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