(課題は)「技術より精神面の強化やな」(馬場信浩著)

卒業して行く生徒のくやしさ

日記の採用

念願の「打倒・花園」の目標を果たした伏見工が伏兵同志社高に敗けたのは、なぜか。

 ラグビーでは突如として試合の流れが変わるときがある。

 どんな強いチームでも一発のタックル、一個のミスで総崩れになる危険性がある。が、強いチームになればなるほど復元力が確かで立ち直りが早い。そのために相手のペースにはまらない。この復元力の源は精神力そのものである。

 伏見工は自分のペースで闘えるうちはよかった。そんなとき、目を見張るような攻撃をしかけることがある。

 しかし、流れが一度敵方に変わるともうズタズタに防御網が切り裂かれてしまうことがある。

 見違えるほどの練習の量も増えてきたのだが、内容が今ひとつだった。三人、四人と組んでのランパスも、出遅れたり、ノックオンしたり、後ろへ逸らしたりする。これは集中力が欠如しているからだと思われた。

 なによりも(りょう)()を驚かせたことに、部員同士がおたがいに文句をつけ、不平を言うことだった。

「もっとええパスを投げろ」

「お前がしっかり、とったらええのや」

 信頼感のないプレーはチーム内に(かん)(せい)をつくる。

 陣形だけではなく心に(すき)をつくってしまう。

 この問題は厳しい(せつ)()だけでは解決できなかった。まして(なぐ)って分からせる性質のものでもなかった。

 良治に数多くの反省点が生まれた。部員たちのプレーを見るのに自分を尺度にしていないか。技術を身につけさせようと基本の走りこみや当たりをおろそかにしなかったか。成果を急ぐあまり心の問題を置き去りにしなかったか。と、徹底的に自分を追いこんでみた。

「どうしたらいいのだろう」

 良治はもう一度、練習方針をさぐり始めた。

技術より精神面の強化やな

 良治は部員たちにクラブ日記をつけろと言ってみた。

「えっ、なんでや。日記みたいな女のすること性に合わん」

 そう言って眼をむいたのは小畑であった。不平を鳴らしたのは小畑だけではない。部員だちの大半が日記をつけることを(おっ)(くう)がった。

 良治が部員たちの精神面の弱さに気がついたのは同志社高に敗けたからではない。

 部員たちにやる気が起きているにもかかわらず、何人かが、オートバイ事故や、喫煙、ケンカにまきこまれるケースがあった。

 毎日が安逸に流され、目的意識を持たない高校生であっては困る。

 何か心に残り、自分を(みつ)めることのできるものはないか。己れの弱点をしっかり把握させる方法はないのか。

 良治はそんな方法を探し続けた。

「陳腐やが、これしかないな」

 良治は部員たちに日記を書けと今度は厳命した。

 その日から三十冊の日記との格闘が始まった。

 ノートを開けてみるとたったの一行のものや、京都弁で長々とその日の生活を記したものや、誤字と脱字だらけで意味不明のものが大半であった。

 しばらくすると日記に部員たちの日常が浮かび上がってきた。

 Sの日記には、こう書いてあった。

「七月十一日。今日は練習が休み。朝から何もせず友人Hを病院まで送ってやり、ずっと一緒に病院にいた。四時ごろ伏見に帰ってパチンコしてた。二千五百円勝った。それから家に帰って少しボールを蹴っていた。夜、いちばん仲のよい近所の奴が来よった。一緒にオールド飲んで話してた。弟とコイコイやって四百円も負けた」

 良治は苦く笑った。こんな生活をしてはならんと叱るのは簡単だった。しかし、叱れば二度とこのような赤裸々な日常を日記に記さなくなるだろう。書いた生徒は良治を信頼している。これを裏切るわけにはいかなかった。

 良治は知らないうちに、生徒の内面に立ち入るという厄介な世界に足を踏み入れていたのである。

 日記とは別に、良治は、決められた時間を守ることを部員たちに求めた。これも言葉だけでは足りなかった。

 そこで練習時間前に全員を集め、部員一人一人を睨みつけてこう言った。

「いいか、同志社大の岡仁詩(おかひとし)さんが選手時代、明治大学に敗けた。そのとき、明治の北島監督は……」

「ウアー、古いなあ、戦前の話や」

 小畑道弘がまぜっかえした。みんながどっと笑った。良治は小畑の前まで行き、真正面から見つめて話を続けた。

「明治の北島監督が岡さんに『もっと体をつくってきたら』と言われた。岡仁詩さんはカーッとなったそうだ。が、そのとおりなんだ。体ができ上がったら怪我も少ない、不平もでない。それに味方のミスは責めてはならない。ラグビー選手はたがいに(かば)い合うものだ。これを肝に銘じて……」

「練習、練習」

 小畑は良治の眼を見返して言った。

「そうだ、練習だ。走り負け、当たり負けせんことは当然やが、もう一つの意味ある練習をやる。それは早朝練習だ」

 誰かがゲエッと言った。

 良治の狙いは時間を守らせることにあった。それはラグビー部員の遅刻防止であった。

 それまで遅刻をしても午後の練習に顔を出せば良治の叱責を受けることはなかった。それをいいことに午前中の授業をサボる者がいた。

 早朝一時間の練習はきつかった。

「眠たいなあ。朝の一時間は午後の三時間に匹敵するで」

 とWTB蔦川譲が言った。

「そうだ。そのためには夜遊びせずに早よ寝たらええんじゃ

 と良治は言った。

 効果はあらわれた。

「うちの坊主、そのころ、ものも言わんと寝よりまんねん。箸を持ったまま居眠りしたりね。昔の軍隊みたいで、なんやいじらしいなってきてね。辛いねんやったら、いつでもラグビーやめたらええ、と言うた。そしたら『じゃかまし、ラグビーやめさすねんやったら親子の縁を切るぞ』とぬかしまんねん。それ冗談でっしゃろけど、息子から縁を切られたら町会議員やってられへん」

 和田静夫の父、和田進(京都府久御山町町会議員・伏工選手父兄会会長)は言う。

 疲れのため、夜は早く眠るようになってきたのだ。

 ずっと後になるが、全国優勝のとき、決勝トライをあげた栗林彰などは帰宅するとそのまま十二時までぐっすり眠り、十二時から食事をとって二時間の勉強をしたという。

 夏休みに入ると授業がないので遅刻防止の意味はなくなる。そのためではないが、定時練習に切りかえられた。

 午前九時から十二時まで、あるいは炎天下の二時から五時までの二回の練習であった。

 京都の夏は我慢ならぬほど、暑くて苦しい。それをのり切れば国体の予選、そして待ちに待った秋の全国大会予選が始まるのだった。

 主将小畑にとって公式戦で同志社高校を倒し宿敵花園高校を(ほふ)る最後のチャンスがやってきた。すべてはこの日のためにあったと小畑は思う。

 昭和五十一年十一月十三日、日曜日。

 京都予選準決勝戦。相手は同志社高校。

 キックオフ、十四時三十分。吉祥院グラウンドであった。

 前半は1トライ、1GPを争う大激戦となった。

 伏見工の闘志は同志社高校をはるかに上まわっていた。しかし、同志社高校は後半に入ると戦法をガラリと変えてハイパントを多用してきた。

 良治の最も恐れていたことが起きた。

 試合の流れが変わったのである。わずかに伏見工の防御網が切られてからは、潮水が堤を侵食するようにじわりと穴をあけられた。

 試合は終わった。39対15、伏見工は同志社高校の試合巧者ぶりにもろくも敗れ去った。

 花園高校は府予選決勝で同志社高校に勝ち、明くる昭和五十二年正月、第五十五回全国大会に京都代表として出場、並みいる強豪を倒して決勝に進出した。

 しかし東京代表目黒高校に29対9で敗れ花園高校は三度涙を飲むことになる。

 小畑はその日の日記に、次のように綴っている。

「今日の試合を終えてラグビー生活が終わりました。なんとも言えない気持ちでいっぱいです。今夜、和田(静夫、プロップ。昭和五十五年度全国大会優勝メンバー和田正夫の兄)とともに先生のお宅へ寄らせてもらいました。今までだったら和田と二人で、泣いて先生にだきついていたと思います。試合後も一番に泣いて先生の所へ飛んで行きたかったです。でも、もう今年はみんなの前で泣けません。おれは以前と違います。敗けて口惜しかったです。でも敗けるたびに泣いていたのではキリがないです。でも帰って風呂に入ると勝手に涙がでてきて困りました。まじめにやりだして一年足らず、自分でも変わったと思います。何もかもが先生のおかげです。落第したとき、先生に会わず、クラブもやっていなかったら今のおれは存在しません。ラグビーを知り、人と人との和を知り、数々の思い出を抱いて高校生活を終われることは素晴らしいと思います。俺たちより数倍の口惜しさを味わったのは、今日の屈辱を目のあたりにした一、二年です。今年のチームより強いチームがつくれると思います。新チームが勝つこと、それは俺たちの喜びです。

 先生、俺たちの果たせなかった夢を来年こそ果たしてください。お願いします。

 山口先生へ  小畑道弘」

「ラグビーをやる目的は勝つためだけではありません。敗けたけど貴重なものを手に入れる。そんなことも大事です。小畑や和田たちはそれらを体得してくれたと思います。勝ちたい、勝とう、そこから努力が生まれます。そんな集積が大事なんですよね」

引用文献『落ちこぼれ軍団の奇跡』(馬場信浩著 カッパノベルズ) 

※この書籍はTBS系ドラマ『スクール☆ウォーズ~泣き虫先生の7年戦争~』(1984~1985)の原作本です。

※引用した文章は同ドラマ「第17回 最後のグラウンド」にあたる部分です。

ドラマのオープニングのナレーション

「この物語は、ある学園の(こう)(はい)(たたか)いを(いど)んだ熱血教師たちの記録である。高校ラグビー界において、まったく無名の弱体チームが荒廃の中から健全な精神を(つちか)い、わずか数年で全国優勝を成し()げた()(せき)を通じて、その原動力となった信頼と愛を(あま)すところなくドラマ化したものである。」

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